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上諏訪温泉しんゆ~岩波書店の創業者、岩波茂雄の人生05~


ヒット作を生み出し続ける力
「岩波文庫」が誕生した昭和2年(1927年)には、「芥川龍之介全集」も出版され、岩波書店は大幅に業績を伸ばしました。けれども、当時の日本は左翼運動が盛んで、岩波書店でもストライキが勃発。岩波は従業員の要望を積極的に聞き入れ、待遇を改善しました。

昭和8年(1933年)には、全分野にわたり現代学術の普及を目指す『岩波全書』を出版しますが、日中戦争によって軍部の発言権が強まり、岩波自身も「日本はしなくてもいい戦争をしている」と批判的な立場を展開したことから、軍部から圧力をかけられるようになりました。岩波は逆境の中にありながら昭和13年(1938年)には、古典を中心とした『岩波文庫』に対し、書下ろし作品による一般啓蒙書『岩波新書』を創刊。『岩波新書』は、ページ数に関わらず一律50銭と破格の安さにすることで、知識人や学生だけでなく、一般の人たちにも読書が広く普及するようになりました。

昭和15年(1940年)、学徒及び篤学の学者、研究者を援助する目的で財団法人「風樹会」を設立しますが、津田左右吉の著作『古事記及日本書紀の研究』の出版により、「出版法」違反で版元として起訴され、 昭和17年(1942年)に有罪判決、上告中の1944年免訴となりました。

昭和20年(1945年)3月に多額納税者として貴族院議員となりました。また、終戦を迎えると、岩波はこれからの日本は民主主義となり、時代はもっとよくなると信じていたといいます。終戦直後の混乱の中翌年には総合雑誌『世界』を創刊。さらに出版人としてただ一人文化勲章を受章し、まだまだこれからというときに同年4月脳出血に倒れ、亡くなりました。

岩波没後の昭和22年(1947年)、戦後の混乱期に物資が不足する中、茂雄の生地諏訪中洲村で生活する青年たちの良書に接し勉強したいという熱意に応えて、岩波書店が全出版物の寄贈を約束。信州風樹文庫は、最初の201冊の寄贈以来、岩波書店が出版する全図書所蔵する日本では唯一の専門図書館となりました。名前の由来は、岩波の座右の銘「風樹の歎」に拠って命名されました。

樹欲静而風不止  (樹静かならんと欲すれども風止まず)
子欲養而親不待也 (子養わんと欲すれども親待たざるなり)
往而不可得見者親也(往きて見るを得べからざるは親なり)
(中国。韓詩外伝、巻九)


また、当館の姉妹宿である、蓼科 親湯温泉には実は岩波自身もよく訪れていたのだといいます。蓼科 親湯温泉には、岩波文庫の回廊があります。これは、岩波のゆかりの地であることだけでなく、館主の岩波文庫を愛読し続けている館主の深い想いが込められています。

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