新着情報

上諏訪温泉 しんゆ 〜故郷の風景を描き続けた原田泰治 02~

実際に現地を訪れ心に響く風景を描く喜び

旧ユーゴスラビアの素朴画家イワン・ラブジンの「心の生計を立てるために描く」という生き方と作品に感銘を受け、生活の柱はグラフィックデザインとして、あくまでも「心の生計を立てるために」純粋に絵を一枚一枚ゆっくりと描いていく姿勢で、作品を生み出してきた原田泰治。懐かしい日本の原風景を温かなタッチで描いた名作は、第29回小学館絵画賞を受賞。そして瞬く間にその名を知られるようになりました。

それまで題材にしていたのは、幼少期に暮らした伊賀良村の思い出でした。けれども、友人のカメラマンから「少年時代の思い出だけでなく、実際の風景を自分の目で見て描いてみてはどうか」と勧められ、彼と一緒に長野県内を取材して制作をするようになりました。幼いころに小児麻痺を患い両足が不自由だった原田にとっては簡単なことではありませんでした。

昭和57年(1982年)、朝日新聞日曜版フロントページに ‟日本のふるさと“ をテーマに絵と文による「原田泰治の世界」の掲載が決まりました。当初は長野県だけということでしたが、全国各地に題材を求め取材に行くことに。しかも、この連載は絵だけでなく、約600字の文章も添えるというもの。身体が不自由なため、旅をあまりしたことがなくかなりの強行軍で、初めのうちはやり方が分からず迷いながらも、原田の優しさが伝わる、“日本のふるさと”を求める旅が確立していきました。

当時はグラフィックデザイナーとしての仕事も続けていく中で、毎週一作品を仕上げる多忙な毎日でしたが、テーマは失われつつある自然や風物詩など、一冊の本をつくるように取り組み、連載は2年半にわたって続き大好評に。昭和59年(1984年)から全国22会場で、連載作品を展示した「にっぽんの四季を描く 原田泰治の世界展」が開催されました。

昭和60年(1985年)には旧ユーゴスラビアへ旅行し、ついに原田の人生に影響を与えた世界的素朴画家イワン・ラブジンに会うことができました。そこから二人の友情は始まり、昭和62年(1987年)には、イワン・ラブジン、イワン・ラツコビッチとともに「ナイーフ三人展-原田泰治とユーゴの仲間たち-」を全国8会場で開催。また、イワン・ラブジンと原田共著の作品集「はるかなるユーゴスラビア」を出版しました。

「レールバス」

その後の活躍は目覚ましいものでした。平成元年(1989年)にはアメリカ合衆国主要5都市で「‟The World of Taizi Harada Depicting the Four Seasons of Japan」、帰国記念展「原田泰治アメリカを行く」を、平成3年(1991年)から平成5年(1993年)まで全国33会場で開催。そして平成5年(1993年)には、信州博覧会に「原田泰治ふれあい美術館」を出展。素朴なタッチで日本の原風景を描いたこれまでにない作品は、多くの人を魅了し、愛されました。

空室検索 チャットボットに質問
TOPへ戻る