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上諏訪温泉しんゆ ~信州が生んだ天下の銘酒「真澄」01~

「真澄」宮坂醸造360余年のあゆみ 

澄んだ空気と水、豊かな自然が息づく長野県には酒蔵がたくさんあります。その数は、全国でも新潟県に続き2位。またその中でも高度な酒造りが行われることで知られているのが諏訪地域です。現在も9つの酒蔵がしのぎを削り、また協力し合いながら、個性豊かな味わいを生み出しています。世界的にもその名を知られる「真澄」を造る宮坂醸造もその一つです。諏訪大社上社の宝物殿に展示されている「真澄の鏡」からその名をいただいた銘酒の歴史をご紹介しましょう。

宮坂醸造の創業は寛文2年(1662年)。もともとは諏訪家の家臣だったという宮坂家ですが、戦国時代に刀を捨てて高島藩御用酒屋になったのがはじまりでした。古くからその味わいは高く評価され、江戸時代には徳川家康の六男である松平忠輝公のお気に入りであった、赤穂浪士の大高源吾が喉越しを賞賛したなど、数々の逸話を残しています。「真澄」という酒名となったのは江戸時代後期ごろのこと。「真澄の鏡」のように、曇りのない澄み切った味わいを目指して命名したといわれます。

(c)2024 宮坂醸造株式会社

明治から大正にかけては、酒蔵にとって厳しい時代が続きました。けれども大正時代の中頃に28歳で杜氏になった窪田千里氏は全国の名酒蔵を訪ね、技術を磨くことで、日本一の美酒造りへと邁進します。そして「真澄」は昭和18年(1943年)全国清酒品評会で第1位を獲得。昭和21年(1946年)には、春と秋の全国清酒品評会の両方で1位から3位までを独占し、その名を広く知られるようになりました。

(c)2024 宮坂醸造株式会社

おいしさの秘密はどこにあるのか・・・たちまち「真澄」の味わいは研究者たちの調査対象となりました。そして昭和21年(1946年)には、大蔵省醸造試験場の山田正一博士が宮坂醸造の酒蔵から新種の酵母を発見。華やかな香りのこの酵母は優良であることが認められ、「協会七号」と名付けられました。「真澄」の醪から分離されたことから「真澄酵母」とも呼ばれる「協会七号」は、その年度から現在まで日本醸造協会から頒布され、多くの酒蔵で使用されるようになりました。

その後も宮坂醸造では、「多くを造るより美味きを造れ」という窪田千里杜氏の指導のもと次々と名杜氏を生み出してきました。これまで培ってきた技術に科学的な専門知識を加えた酒造りは今もなお進化し続け、今では長野県で最も多く出荷される日本酒となり、また世界にも進出。「信州が生んだ天下の銘酒」として愛されるブランドへと成長しました。

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