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上諏訪温泉しんゆ~電気炉製鋼の先駆者、土橋長兵衛~


日本では作れなかった「特別な鋼」を作る

土橋長兵衛(つちはしちょうべえ)は、日本で初めて電気炉製鋼法を確立した人物です。電気炉製鋼法とは電気炉を用いた製鋼法の一種です。世界では、18世紀から電気を用いて鉄鉱石を精錬する試みが行われ、1810年にはイギリスの発明家・ハンフリー・デービーが実験に成功。そしてフランスのポール・エルーがアーク炉による精錬法を確立し、1907年にアメリカで最初の電気炉製鋼プラントが稼動しました。
日本では、明治末期ごろから研究が始まっていましたが、明治42年(1909年)には土橋長兵衛が東京帝国大学の教授たちの協力を得て、日本初の電気炉製鋼に成功。工具類に必要な高速度鋼などの特殊鋼の生産技術を開発し、日本の製鉄業に革命をもたらしました。
土橋長兵衛は、慶応4年(1868年)に上諏訪の酒造業「万年屋」土橋治三郎の次男として生まれました。9歳の時に、金物業を営んでいた宗家土橋家「亀長」の養子となり、第13代長兵衛を襲名。もともと土橋家は、武田信玄の侍大将・板垣大膳の系統を組むと伝えられ、文化・文政時代には綿、小倉、金物、畳表、酒などを商い、全盛期を迎えていました。けれども当時は困窮し、長兵衛は小学校を卒業すると家業を再興するために働いたといいます。
当時、長兵衛は金物商として輸入品を多く扱っていました。「外国で作れるものが日本でできないことはない」として、金物の国産製造を目指して独学で冶金学を勉強し、自宅の敷地内に工場を設けました。さらに明治37年(1904年)頃から、諏訪湖畔の渋崎に電気冶金の工場を設立。そこでは、小型の電気炉を使って製鋼実験を繰り返しましたが、小規模では目的を達することは不可能と悟り、明治40年(1907年)に豊富な電力を求めて東筑摩郡島内村(現・松本市)に亀長電気工場を建設しました。

当時、安曇電力は現在の安曇野市にある中房川に長野県下最大の宮城発電所を建設し、電力が余っているような状態でした。長兵衛は、亀長電気工場でこの豊富な電気エネルギーを利用して電気冶金の研究・実験を始めました。長兵衛は、独自に開発したアーク電気炉によって、鋼を作るための原料となる鉱石銑、合金銑(フェロアロイ)を製造。そして、東京帝国大学教授・俵国一らの協力を得て、明治42年(1909年)に日本で初めて電気炉製鋼に成功しました。これによってドリルやタップ、ノコギリなどの刃物に使う高速度鋼(熱に強い鋼)や兵器部品、機械部品、精密工具などに使用する特殊鋼(高性能な鋼)が日本国内で作れるようになりました。

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