御神渡りの拝観を行う八剱神社

諏訪の七不思議の一つとして知られる御神渡り。御神渡り神事は、諏訪市の無形民俗文化財に指定されている八剱神社の特殊神事です。八剱神社は、諏訪大社上社の摂社で、八千矛神(やちほこのかみ)・日本武尊(やまとたけるのみこと)・誉田別尊(ほむたわけのみこと)の三柱の神を祀っています。また、御柱祭が行われる年には、社殿の造営と遷宮が行われます。
八剱神社の創建年代は明らかにはされていません。かつては諏訪湖に突き出た高島の里に鎮座していましたが、戦国時代に豊臣秀吉の家臣、日根野織部正高吉が高島城を築いた際に、現在の場所に遷座しました。江戸時代には、高島藩諏訪家が居城鎮護として崇敬。明治時代になると、小和田村の産土神となり庶民から信仰され、現在に至ります。


また、八剱神社は天和3年(1683年)以降の御神渡り拝観の記録を記した「御渡り帳」を保持し、御神渡りの記録や神事を行います。毎年小寒(1月5日頃)から春分(2月3日頃)には、八剱神社の宮司や氏子総代が毎日諏訪湖を観察し御神渡りの出現を待ちます。御神渡りはただ一筋が出ればよいものではなく、南北方面(諏訪市側から下諏訪側)に走る「一の御渡り」、その後同方向に出現した「二の御渡り」、さらに、東岸(諏訪市から岡谷市湊)からできて、一の御渡り、二の御渡りに直交する「佐久の御渡り」のすべてが出てから、そこではじめて御神渡りが出現したと認められます。それまで毎日観察し、ついに出現が確認されると八剱神社では臨時の総代会を開き、拝観式の日を決定します。


拝観式の当日は、宮司や総代の関係者が八剱神社の社殿で修祓を行い、諏訪湖へ向かいます。そして湖を周り、「一の御渡り」「二の御渡り」「佐久の御渡り」を拝観して、下座(くだりまし:神が降り立ったとされる諏訪湖の南側・上社側)と、上座(あがりまし:神が陸に上がった諏訪湖の北側・下社側)の湖岸地点の検分を行います。拝観式では、宮司と氏子総代が精進潔斎(しょうじんけっさい)の証しである「しめ縄」を肩から掛け、3本御神渡りを確認します。精進潔斎とは神事や参拝の前に肉食や酒を断ち、心身を清める行為のこと。拝観と検分が終わると、肩にかけていたしめ縄は木にかけ、八剱神社へ持ち帰って燃やします。
拝観式が終わると、宮司や総代は社殿へ戻り、御神渡りの状況を祭神へ報告します。また、その年の農作物のできや世の中の吉凶、気候などについて占い、これらの結果は「注進状」にまとめられ、後日、諏訪大社上社で行われる「御渡注進式」で、神前に捧げられます。さらに諏訪大社は、この内容を宮内庁と気象庁へ報告しています。
単なる自然の現象ではなく、神の通り道という伝説をもち、八剱神社だけでなく地元の人々によって大切に受け継がれている御神渡り。今年は「明けの海」でしたが、来年こそはと神秘の道の出現に期待が高まっています。

