
《諏訪大明神本地仏 普賢菩薩像/ 仏法紹隆寺》
蒙古から日本を守った諏訪大明神
諏訪大社最古の縁起絵巻『諏訪大明神絵詞』。これは、延文元年(1356)に諏訪円忠が書いたもので、建御名方神が諏訪に鎮座した由来をはじめ、軍神の活躍などが描かれています。その中に蒙古襲来時に諏訪大明神が活躍したという伝説が残っています。
鎌倉時代、諏訪神社で神事が行われたとき、境内にいた参拝者たちが「雲間に龍の腹が見える」「龍が一匹、いや、数匹いる」と騒ぎ始めました。そして大勢の人たちが雲に乗って西に向かう龍の姿を見たといいました。
その噂は瞬く間に広がり人々は不安を募らせるようになりました。というのも7年前に蒙古が襲来した際に、諏訪大明神の龍が諏訪から西へ向かったという噂があったからです。その後、敵の舟は壊れ、退散していきましたが、元と名前を変えた蒙古は、再び日本へやって来るのではないかと心配されていました。
人々の予想通り、九州に元の国の兵士と舟が再びやってきました。元は600万にのぼる舟を使って元の大陸と日本の間に二つの浮橋を造ろうとしており、その先陣として数万の舟が日本に到着しました。けれどもその船団が後陣を待っていたところ、強い風がふき、みるみる海が荒れ始め、黒雲の隙間から雷とともに龍が現れました。そして元の舟は大きく壊れ、ひっくり帰り、すべて沈没してしまいました。
この時、九州にある鎌倉幕府の役所や博多の港でも龍の姿を見たという人がたくさんいました。そのため、「元の国の舟を沈めたのは、龍のお姿をした諏訪の大明神様だ。日本の国を助けてくださった」と喜びました。そして日本の国は、諏訪の大明神様のおかげで、またもとのようなおだやかな国になりました。
また、元に帰った兵士たちも、「日本の海で、大きな龍神に襲われ、味方の舟はことごとく沈められてしまった。これからは諏訪大明神をおまつりし、怒りをおさめてもらわなければならない」と言い、元の国にもお社を建てておまつりされたといわれます。
2回にわたって嵐を起こし、蒙古の襲来から日本を守った諏訪大明神。龍神が起こした風は「神風」と呼ばれ、その後、日本が生み出した当時最速の飛行機や特急電車などにもその名が使用されています。

