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上諏訪温泉しんゆ~諏訪地方に伝わる龍神伝説~

神無月がない信濃国
私たちの知っている龍は、仏教によって中国から日本に伝わってきたといわれています。空海も中国の青龍寺から龍神を日本にお連れし、密教の守護神とされました。また、諏訪地方の仏教は、当初「法華経」をいうお経が信仰されていました。「法華経」の中に登場する仏法を守護する八大龍王とともに、龍の信仰が広がっていったと考えられています。

また、諏訪地方では、古くから諏訪大社の上社のご神体山である守屋山に雲がかかると雨が降るといわれ、諏訪の神(諏訪大明神)の姿は龍であるといわれていました。水と風の守護神として信仰されてきた諏訪の神にはさまざまな伝説が残っています。

現在、日本では新暦が使用されていますが、かつては旧暦(陰暦)が使われていました。旧暦の10月は「神無月(かんなづき)」です。毎年10月には出雲の国に日本中の神様が集まって国づくりの話し合いをすることから、出雲の国では、「神在月(かみありづき)」、出雲の国以外は「神無月(かんなづき)」といわれていました。

ある年の10月、例年どおり八百万(やおよろず)の神々が出雲の国に集まりました。けれども諏訪の神だけは到着していなかったといいます。しばらくしてやってきた諏訪の神は、他の神々が恐れおののくほど大きな龍神でした。その大きさは、龍神の頭が出雲にありながら、尾はまだ諏訪湖のほとりにある高い木にかかっているほど。出雲の神は、「そんなに大きな体では、ここまで来るのもひと苦労だろう」との言葉をかけ、次の年からは、集まりで決まったことは伝令によって伝えられ、諏訪の神は出雲の国には訪れなくてもよいということになりました。

そのため、諏訪のある信濃の国は、10月を「神在月(かみありづき)」といいます。また、龍神の大きさが「尾はまだ諏訪湖のほとりにある高い木にかかっている」と言ったことから、諏訪市には「尾は」から「大和(おわ)」、下諏訪町には「高い木にかかっている」から「高木(たかぎ)」という場所ができたといわれます。また、龍神が尾をかけていた「尾掛松」は「杉の木神社」にありました。現在は枯れてしまいましたが、下諏訪町の文化財として言い伝えが記されています。

明治時代初期の神仏分離令までは、日本土着の神道と仏教が融合した「神仏習合」が日本人の信仰の姿となっていました。諏訪地方でも、仏教、神道、アニミズムのすべてが混ざり合い、諏訪の人々の心を育み、豊かな文化を生み出してきました。龍神伝説はその証の一つといえるのではないでしょうか。

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